プロフィール

目次

幼少期から人見知りで、否定されることや嫌われることを恐れ、人の目を気にして自分の意見を言わず、趣味すら隠しながら周りに合わせて同調する生き方をしてきました。

趣味も隠していたんだ・・

人に合わせてばかりで苦痛→1人でいいや→寂しい・充実感がない日々→また人に合わせる→繰り返し

人間関係やコミュニケーションの苦手が主要因となり、転職を繰り返し人間不信に陥ることもありました。

駅員→スーパー店員→ガソリンスタンド→駅員→路線バス運転士
                →タクシー運行管理事務員→路線バス運転士

駅員→スーパー店員→ガソリンスタンド→駅員→路線バス運転士→タクシー運行管理事務員→路線バス運転士

転職回数多いね~
誰とも交流しなかったの

自分を偽り、ニコニコと八方美人を装って生きてきたため、完全に人との交流がなかったわけではありません。
結婚もしていますし、職場での人間関係も、年を重ねるごとに偽りの自分を、演じることに慣れていきました。

自分を偽り、ニコニコと八方美人を装って生きてきたため、完全に人との交流がなかったわけではありません。

結婚もしていますし、職場での人間関係も、年を重ねるごとに偽りの自分を演じることに、慣れていきました。

とあるきっかけ出会いから、自分を出せるようになり、自分が少しずつ変わりはじめたというより、本来の自分で生きれれるようになりました。

とある、きっかけ?

私の凸凹人生を通じて、お話ししていきます。

凸凹人生だね~
これからは、自分らしく進んでいくんだね。

とあるきっかけで、自分を出せるようになった私が、鉄道グループの主催運営を経験したことが、ひとつの転機になりました。

楽しい日々が増えると同時に、特に女性の方々が「詳しい知識よりも、電車でゆったり旅を楽しみたい」「行程がハードすぎると不安」と感じることが多い 印象を受けました。実際、女性の参加率は低いものでした。

女性の方が、行程など時間に追われることなく、普段忘れがちな

“本来の自分の感情”

を大切にできる旅を提供したい。

そんな思いから、路線バス運転士を早期退職し、職業訓練校(トラベルビジネス科)へ入校。

・国内旅行業務取扱管理者
・旅行サービス手配業務取扱管理者
・国内旅程管理主任者(添乗員資格)
日帰りバスツアー実務研修参加経験あり

学んだ旅の知識と…

半世紀に及ぶ鉄道趣味歴に…

日本の鉄道(JR・私鉄)に全線乗車し
全国47都道府県を巡った体験を活かし…

“やっぱり私ってこういうのが好きだったんだ”

“やっぱり私ってこういうのが好きだったんだ”

と実感できる時間や空間を、提供できないだろうか。そう考え当初は「私を思い出すツアー案内人」としてスタートします。

でも、上手く伝わらない…

そんな時にデンマークの『ヒュッゲ』というライフスタイルに出会います。この出会いから、自分が一番ワクワクする旅や鉄道を通じて、女性のみなさまが”自分らしく”過ごせる毎日を、ご案内していきたい気持ちが強くなりました。

人見知りで自己表現が苦手とは言え、中学生後半くらいまで「趣味は鉄道です」と誰にでも言えていました。

趣味を隠すことはなかったころ

鉄道や旅に詳しいの?

・鉄道趣味歴は半世紀
・日本の鉄道(JR・私鉄・ケーブルカー)は全線乗車済み
・鉄道高校出身
・20代前半は鉄道職員(改札・乗車券うりば・ホーム監視などの駅係員)
・20代後半からは都内路線バス運転士
・47都道府県観光訪問歴あり
国内旅行業務取扱管理者(国家資格)
国内旅程管理主任者実務修了(添乗員・実務研修経験あり)
旅行サービス手配業務取扱管理者
職業訓練校 トラベル・ビジネス科卒業

2歳ごろの写真には、すでに電車のおもちゃで遊んでいる姿が・・

小学校低学年時代はプラレール一択でした。

高学年になると鉄道クラブに入り、友人と研究発表をするなど、趣味を隠すことなく楽しんでいました。

中学生になると、友人と「チャレンジ20000Km」に挑戦し、鉄道模型も楽しみ毎日が充実していきます。

チャレンジ20000Kmとは
国鉄が行っていたキャンペーンで、全国にある242線区・合計20000Kmの全線乗車を目指すものでした。

専用の事務局が設けられ、キャンペーン設定期間は10年という長期にわたるものでした。

クラスで「一番おとなしい生徒」と言われる一方で、趣味を共有できる友人とも出会い、その頃はそれほど人の目を気にせずに生きていました。

へぇ~全線乗ったの!

中学生には無理です(笑)

そんな趣味の合う友人と、楽しい時間を過ごしていた中学2年生の冬、父の転勤により九州への転校が決まりました。

鉄道高校で鉄道好きの友人ができない

初めて関東圏外の転校でもあり、東京から来たおとなしい私は、クラスに馴染めず孤立していきます。

この頃から、鉄道趣味を知られることが恥ずかしくなり、趣味を隠して一人で活動するようになりました。

子どもの頃からの夢の
電車の運転士になりたい!

そんな中、鉄道高校に行きたい気持ちが強まり、親に無理を言って九州から東京へ戻り、祖父の家に下宿しながら通学することになります。

鉄道高校なら友達たくさん
できて楽しかったでしょ

鉄道高校では趣味を隠したままの3年間を過ごし、鉄道好きの友人は一人もできませんでした。
今思うと、共通の趣味を持つ生涯の友人と出会うチャンスを逃し、もったいないことをしたと思います。

鉄道高校では趣味を隠したままの3年間を過ごし、鉄道好きの友人は一人もできませんでした。


今思うと、共通の趣味を持つ生涯の友人と出会うチャンスを逃し、もったいないことをしたと思います。

鉄道好き隠していたんだ・・

そんな高校生活も、今振り返ると夢を叶えるために、勉強や運動、食生活まで、夢のために夢中で取り組んでいました。鉄道高校ゆえ希望者も多く、学内推薦を取れなければ履歴書すら提出できなかったのです。

そんな高校生活も、今振り返ると夢を叶えるために、勉強や運動、食生活まで、夢のために夢中で取り組んでいました。

鉄道高校ゆえ希望者も多く、学内推薦を取れなければ履歴書すら提出できなかったのです。

努力が実を結び、大手私鉄に内定します。この頃は自己肯定感も高まり、少しずつ自分に自信が持てるようになり、新しい自分になれると卒業を心待ちにしていました。
心待ちにしていた入社式、ついに待ち望んだ鉄道員としての人生がスタートします。同期たちとの研修所生活も始まりました。

人の目を気にして自己開示をせず、本当の自分を隠していた私は、ある日教官に「お前、この先心配だな」と言われましたが、その時の私には、その言葉の意味がまったく理解できませんでした。

ほどなくして、同期たちから避けられていることに気づきました。しかし、その理由は自分にはわかりません。研修所通いも終わり、都心のとある駅に配属されます。

写真でも同期と距離感あるね

配属先の駅でも、自己開示せず、本当の自分を隠していた私に対し、最初は優しく接してくれていた先輩たちのイライラは次第に募っていったようです。

学生時代とは違い、社会では通用しなかったようです。耐えられなくなった私は、わずか数か月で退職してしまいます。

人間関係に悩み転職を繰り返す人生

夢を失った私は、希望もなくなり、就職がそれほど困難ではない時代ということもあり、スーパーやガソリンスタンドなど、職を転々としました。

自分を守るために笑顔や人に合わせることを選んでいたからでしょうか。「いい人だ」と言われることも多く、この頃、最初の結婚もしています。転職を繰り返す中で、中小鉄道会社に内定を得ます。

再び夢が叶い、仕事は楽しく、人間関係も良好で毎日が充実していました。ところが、あろうことか私は待遇を比較してしまい、大手鉄道会社の自動車部(バス部門)へ転職することを選んでしまいます。

夢がまた叶って人間関係も上手くいってるのに何をしてるの?

夢がまた叶って人間関係も
上手くいってるのに何をしてるの?

これには妻も呆れ、離婚を経験することになります。当時のバス運転士は、今とは異なり給与も良く、生活は安定し、車やバイクを購入し、生活を楽しむ中で新たな出会いもあり、2度目の結婚に至ります。

人の目が気になる私にとって、この仕事は過酷でした。

車内からの乗客の視線、バスが遅いことでの一般車からの嫌がらせ、理不尽なクレームなど、単なるコミュニケーションの悩みを超えて、やがて完全に人間不信に陥ります。

結果として、身近な人以外との関わりを避けるようになっていきました。

指導運転士の定年お祝いの写真なのに笑っていないね

指導運転士の定年お祝いの写真なのに
笑っていないね

職場での人間関係は良好でしたが、人間不信はますます酷くなり、ストレスにより体重は増加。最終的にうつを発症し、退職することになりました。

人を拒絶し趣味に逃げていた時期

症状が回復してきたため、仕事探しを始めました。カスハラなどの対応をなぜ会社側はしてくれないのかに疑問も抱き、タクシー会社の運行管理者(事務職)に就職します。

ところが、カスハラ被害乗務員の対応や、苦情電話対応に悩み、うつの症状が再発しはじめました。

このころは今の私のように、職業訓練校で新しい知識を備えることは頭になく、転職はすでに6回に及んでいたこともあり、やむを得ず再び別会社の路線バス運転士に戻ることになります。

人を避けてきた人が電話対応?

人間不信の中で辛い日々を過ごしていましたが、二度目の路線バス運転士の仕事は慣れもあり、基本的に一人で行う仕事であること、そして夢であった電車運転士と同じ制服を着ることもあり、2社通算で約27年間無事故無違反で乗務を続けることになります。

このころは幼なじみや身近な人以外と、一切交流していませんでしたが、鉄道愛は変わらず、40歳のときに中学生のころからの念願であった「日本の鉄道全線乗車」を遂げました。

中学時代の夢が叶ったんだ!
お金掛かかるのに奥さんから怒られたでしょ

ストレスにより体重が増えていく私を見て、妻はとても心配し、全国の鉄道を巡る私の趣味を理解し、受け入れてくれていました。

全線乗車最後の駅には、妻と大阪旅行を兼ねて乗車しましたが、私の表情は笑顔ではありませんね。

そんな嬉しい出来事も、身近な人以外には誰にも話すことなく過ごしてきました。しかし、福島に移住した父が亡くなり、毎週のように介護状態にある母の様子を見に行くようになりました。仕事の激務も重なり、再び精神的に落ち込み始めます。

そんな嬉しい出来事も、身近な人以外には誰にも話すことなく過ごしてきました。

しかし、福島に移住した父が亡くなり、毎週のように介護状態にある母の様子を見に行くようになりました。仕事の激務も重なり、再び精神的に落ち込み始めます。

このときに痛感したのは、自分には相談できる人も仲間もいないという現実でした。幼なじみや妻には意外と相談しにくく、私はYouTubeや本などに救いを求めていました。そんな中、ある著者の本に深く共感することになります。

このときに痛感したのは、自分には相談できる人も仲間もいないという現実でした。

幼なじみや妻には意外と相談しにくく、私はYouTubeや本などに救いを求めていました。そんな中、ある著者の本に深く共感することになります。

自分を出さないと出会いもないよ

本の通りに行動してみると、本当の自分を理解してくれる人と出会いたいと強く感じるようになり、著者が主催するコミュニティのオンライン会に意を決して参加しました。

このオンライン会が
とあるきっかけだね!

そこで話の流れから「鉄道が趣味です」と発言することになりましたが、否定されるかもという恐怖心(今思えば、なぜそんなに怖かったのか)から、チャット画面しか見られませんでした。それほどまでに他人の目が怖く、人が怖かったのです。

そこで話の流れから「鉄道が趣味です」と発言することになりましたが、否定されるかもという恐怖心(今思えば、なぜそんなに怖かったのか)から、チャット画面しか見られませんでした。

それほどまでに他人の目が怖く、人が怖かったのです。

肯定的な意見が多く寄せられ、自分を表現することで安心できる人とのつながりが増えていきます。受け入れてくれる人たちの存在によって自己表現が自然とできるようになり、今では一緒に出かけるほどの大切な友人・仲間ができました。

肯定的な意見が多く寄せられ、自分を表現することで安心できる人とのつながりが増えていきます。

受け入れてくれる人たちの存在によって自己表現が自然とできるようになり、今では一緒に出かけるほどの大切な友人・仲間ができました。

自分を表現したから
楽しい仲間ができたんだね

あれもこれもしたいと心ここにあらずの状態で、ある夜、最終バスを運転していたとき、大きな事故を招きかけ、間一髪で回避します。

しかし、この経験から、自分を含めお客様や周囲の人々の安全が、確保できないと思い悩んだ末に、ハンドルを握れなくなってしまいました。

27年も運転していたのに適応障害!

定年まで走り続けるはずだった路線バス運転士、27年目にしてまさかの適応障害を発症し、休職することになります。

休職中に考えを巡らせた結果、バス運転士の引退を決意し「備楽旅」の活動を開始しました。

休職中に考えを巡らせた結果、バス運転士の引退を決意し「備楽旅」の活動を開始しました。

安定を手放し、再び苦難の道を歩むかもしれませんが、全く悲壮感はありません。

なぜなら、備楽旅を通じて笑顔になる人を、想像し様々な活動をしていることに、価値を感じる本来の自分の姿があるからです。

床屋に行った際に発した私の一言が、ペヨコの誕生のきっかけとなりました。

短めでお願いします~

睡眠不足が続いていたため、ウトウトしてしまい、目を開けたときには—

まるでヒヨコの頭のようになった自分が、鏡に映しだされました!まだまだ髪型も気になる歳頃で、落胆しながら帰宅すると、妻にヒヨコみたいと大笑いされます。

まるでヒヨコの頭のようになった自分が、鏡に映しだされました!

まだまだ髪型も気になる歳頃で、落胆しながら帰宅すると、妻にヒヨコみたいと大笑いされます。

うける~ヒヨコみたい!

折しも世間では「冬のソナタ」でぺ・ヨンジュンがブレーク中!

ヒヨコじゃつまらいな~ペヨコにすれば!

ヒヨコじゃつまらいな~
ペヨコにすれば!

こうしてペヨコは誕生し、ふくろうのぬいぐるみに名前をつけて読んでいたのですが、SNSデビューする際、その名前を私のニックネームにしました。

今では本名より知名度が高いな💦

少しずつ自分を出していくことで、今まで出会ったことのない世界の人々との交流が増えていきます。そんな中で、出会ったカメラ仲間の千葉ハルカさんが、イメージ動画を撮影してくれました。

少しずつ自分を出していくことで、今まで出会ったことのない世界の人々との交流が増えていきます。

そんな中で、出会ったカメラ仲間の千葉ハルカさんが、イメージ動画を撮影してくれました。

ペヨコさんは、見た目からして優しそうなのですが、話してみると実際にめっちゃ優しい人です。

「ペヨコ」というニックネームの由来である「奥さまとのほっこりエピソード」が、私はすごく好きです。

私は2021年くらいから「私の周りにいる魅力的な人たち(おじさま)のかっこかわいい動画を撮りたい」という想いがありましたが、なかなか実現できませんでした。

実行には至らないものの、ただただ「撮りたい気持ちがある」ということは周囲の人たちに言いふらすだけの状態が続きました。

ペヨコさんも「カメラが趣味」ということもあり、そこからのご縁でペヨコさんに撮影協力いただけることになったのが、2022年9月初旬。

ようやくステキなペヨコさんの笑顔をお届けすることができました。

編集途中のサンプル動画をペヨコさんにお見せしたところ、「サンプル動画を見て、やはり「趣味活動」をしている自分が、こんなに「満面の笑み」だと改めて感じました」とのコメントもいただきました。

私たち人間が歳を重ねる中で、特に仕事を辞めたり子供が手が離れたりすると、「何をしたら良いか分からなくなる人」が多い傾向があります。

しかし、今回のペヨコさんの動画を通して、趣味を楽しむことが人生に充実感や魅力をもたらすことを再認識しました。

自分は何が好きなのか?何をしている時が幸せなのか?

私も、自分自身に問いかけていこうと思います。
ぜひ、ペヨコさんの素敵な笑顔をご覧ください!

※一部(中略)

本来の自分を出しながら、こんなに笑顔で人と接することができるとは、自分でも驚きでした。

紆余曲折が多く、長いプロフィール記事になりましたが、最後までお読みいただきありがとうございます。

ほんの一歩を踏み出し、少しずつ本来の自分を出すことで、毎日が大きく変わるきっかけになりました。

紆余曲折が多く、長いプロフィール記事になりましたが、最後までお読みいただきありがとうございます。

ほんの一歩を踏み出し、少しずつ本来の自分を出すことで、毎日が大きく変わるきっかけになりました。

自分が本来持っているものを表現することは、努力ではなく楽しさが勝る体験です。皆さんも、「備楽旅」で本来の自分を表現しヒュッゲな毎日をすごしてみませんか。

自分が本来持っているものを表現することは、努力ではなく楽しさが勝る体験です。

皆さんも、「備楽旅」で本来の自分を表現しヒュッゲな毎日をすごしてみませんか。

ペヨコ鉄道・ペヨコ駅長

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